女の子と男の子の扱い方の手法について
 子どもの職場を定年退職してから、半年くらいが経とうとしている。この間に平島公園や児童館や児童クラブ・保育園等を訪問して、ますます男の子と女の子の扱い方の手法は違うことを痛感している。
 今までは児童厚生員兼主任・児童育成係長・センター長であったので、ある意味では子どもを人質にしているような面もあった。ですから私の考えに賛成してくれていても、それは半分、おせいじであることもあったかもしれない定年退職して、地位がなくなれば、相手も気遣いなく、自分の意見を言ってくれる。

 男の子を育てているお母さん・おじいちゃん・おばあちゃんに平島公園で声かけをしている。女の子の後に生まれてきた男の子を育てていて、『男の子と女の子は全く違った扱いが必要』との考えに概ね9割の人が賛同してくれる。
 男の子は棒を持ったら振り回し、石があったら投げ、土の場所では穴を掘り、ボールを蹴り、高いところに上りたがるのは本能である。女の子は何か行動する前に周りの様子をみてから判断する。社会的参照能力というのですが、その能力が高いから、男の子のような行動パターンをとらない。

 棒を振り回している子どもがいたら、にこやかに近づいて『この手は悪い。でもあなたは良い子』と言ってやれば、たいてい解決するものだ。女の子に子の手法は通じない。特定して叱ればたいてい恨まれる。女の子が棒を振り回しているならば、他の子どももやっているのだから、集団として叱ることが必要となる。

 女の子どもでも男の子的な女の子もいる。男の子どもでも女の子的な男の子もいる。他人の物を隠すなどでも男の子的なパターンなら簡単である。『〇〇ちゃん。誰々ちゃんが好きなのね』などと声をかけてやればすむ。でも女の子的な物を隠すパターンは要注意である。たいていは仲間とつるんで意地悪をしていることが多い。ですからその背景と集団を見極めて『どうも3年生の女の子で他人の物を隠して喜んでいる人がいる。天知る地知る我知る汝知ると言って、みんな見ているよ。』みたいな言い方が良いであろう。

 褒めるのは厄介だ。女の子の場合は。『〇〇ちゃんはとてもよくやっている』などと褒めようものなら、みんなでシカトしようということにもなる。男の子の場合は『〇〇ちゃんは頑張るね』なんて言っても、他の子どものことなど基本的に関心がないから、聞いてもいないし、聞いたとしても無関心である。

 男の子と女の子では扱い方の手法が違うのである。何でもチャレンジしたがるタイプと慎重派の場合では失敗したときに声かけが違うのである。その違いをきちんと把握しておかないとダメではないかと思う。

 いろいろな人に声かけをして、日本人のほとんどが男の子と女の子の扱い方の違いを強く感じているのに、なんで「学問」のある人はそれが理解できないのであろうか。多くの場合に欧米風の理論で凝り固まっているからのように思う。
 日本人はとても女性を大切にする民族である。なにせ天照大御神も女性であるのだから。世界の中で女の神様が先祖というのは少ないのではないか。そして、日本は一見男尊女卑みたいに見えるが、女性が実権を握っている国でもある。男が働いて、そのお金はおかみさんが持ち、男に小遣いをあげるパターンの国はそんなにはないだろう。このように女性が実質的に尊重されていて、それを基本にして国が成り立っているのだから、ジェンダーフリーみたいなのはそんなに必要ないのである。欧米のように一見女性上位のようで、実は実権のない国にジェンダーフリーみたいなのが現れ、それを金科玉条のように思っているのは愚かなことではないだとうか。

 同じ人間だから同じ扱いという人もいる。でも他の動物でも雄と雌ではまったく違ったパターンのものもある。魚の中には大きな魚が雄になるのもあるし、逆に大きな魚が雌になるものもある。雄がきれいな場合もある。動物もいろいろ。人間もいろいろだ。適材適所、必要な手法を必要なときに使うことが大切ではないだろうか。
ハエたたきが当たらない理由
「ハエたたきが当たらない」その理由が判明
(ITmediaニュース - 09月01日
マイケル・ディキンソン教授
 米カリフォルニア工科大学で昆虫の飛行生態について20年間にわたり研究しているマイケル・ディキンソン教授は、ある記者から受けた質問が強く印象に残っていた。その質問とは、「ハエたたきはなぜあんなに難しいのか?」というものだった。
 ディキンソン教授はようやくその答えをみつけたという。同大学がこのほど明らかにした。
 ハエは、飛び去るずっと前の時点で、迫りくる脅威の位置を判断し、回避するための方法を計算する。そして、逃げるのに最適な場所に脚を置き、脅威とは反対の方向にジャンプして逃げ去る。
 これらの行動はハエが脅威を発見してからわずか100ミリ秒の間に起きる。
 ハエは360度の視野角を持ち、自分の背後も見ることができる。向かってくる脅威の角度によって、自分が回避するための方向を決め、中脚、後脚の位置を変えるのだ。また、脅威を発見したときの自分の各部位の位置も知覚し、それを適切な場所に移動させる方法も計算する。
 ディキンソン教授らの研究により、ハエをたたくのに適切な方法も判明した。「ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき」と同教授はアドバイスしている。


 ネットサーフィンをしていたら上記の記事を見つけた。子どもも一緒だなと思った。子どものやってしまってからの事故をとやかく言っても「覆水盆に帰らず」で後始末に苦慮するだけだ。
 子どもの活動の速さは大人の活動の速さの3倍速くらいはあると私は感じている。普通速モードやゆっくりモード(=2分の1速モード)の大人

が3倍速モードの子どもに勝てるわけがない。3倍速モードで動けば疲れ果ててしまう。同時に通常速モードで動いても事故は防げないのでこれまた疲れてします。ですから子ども相手の仕事はとても大変なのです。
 「ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき」とのハエ理論を活用するならば3倍速モードで動き回る子どもに対して、子どもの行動パターンを理解して子どもの現在を見るのではなくその後のパターンを予測した対処をするべきであろう。

 大人が一番に子どもにイラつくのは子ども同士のケンカである。トムとジェリーのように子どもは「仲良くケンカ」をして成長するものだ。しかしながら遊びはケンカの一種だから遊びからついついエスカレートしてきついケンカになる。遊んだいたらケンカになる可能性を予測する。そしてエスカレートし始めて顔が真っ赤になりそうな直前で違った方向に話題を変えたり、二人を引き離したりの手法をこうじることが必要となるのである。
 同様に高いところに登り、石を投げ、走り回り、穴を掘るのは男の子の本能だから、それを予測して先手を打っておくことが必要である。

 私は最近年をとってしまったのですが、ローラースケートを滑るのは下手な子どもの3倍速モードです。ですから子どもとローラースケートをしていても子どもが止まっているように見えることもあります。写真の日は天気が良かったのでシャッター速度が速くなり子どもが止まっているように見えています。そんなことも写真から感じました。

ふゆ遊び

2006年11月28日 お仕事
ふゆ遊び
 小春日和の日が続いたりもしていたが、そろそろ雪下ろしの雷もなりそうな季節となってきた。

 新潟の冬・とくに新潟市の冬はすごしにくい。雪が降って雪遊びが出来るわけでもない。(大雪で雪掘りをしなければならいない所からすれば贅沢な悩みである。雪掘りというのは豪雪地帯では屋根から雪を下ろすのではなくて、屋根の方が低くなるので雪を掘らなければいけないのだ)でも晴れてもいないから外遊びもできない。だから雪遊び・外遊びなしで室内遊びに限定されてしまう。

 室内遊びの充実を図る必要があると思う。
 オニム・カプラ・バックギャモン・ピタゴラス・ドミノなどの遊びや折り紙・紙飛行機・くす球ユニット・奴さんユニット・こまユニットなどの紙を使った遊びやごめんなさいじゃんけん・じゃんけん陣取り・味噌ラーメンじゃんけん・集団じゃんけんなどのじゃんけん遊びも大切ですね。また、割り箸鉄砲・チラシ鉄砲・バルーンアート・シャボン玉まがい・風車・ホットビーズ・プラ板などの遊びやコマ回し・セブンブリッジ・オセロ・将棋・ウノなどのゲーム遊びも必要です。

 私の子ども時代のことですが、友達の田舎の納屋の二階にマンガの本を置いて、みんなで冬にマンガを読んだ思い出があります。また牛小屋の牛に乗って遊んでいました。普通の牛はあまり人を乗せてくれるようなことはないみたいなのですが、そこの家の牛はとてもやさしい牛で私が乗っても許してくれました。牛の体温がとても暖かかったのを覚えています。

 新潟の冬遊びを充実していくために、ハード面だけではなくてソフト面での充実も必要ですね。みんなでチラシを切って、チラシで思い切ってチラシプールを作れば楽しく遊ぶことができます。そのためにはみんなが少しづつがまんが必要です。自主性と創造性の原点はがまんとあきらめと最近私は感じています。
 
 新潟の冬の状況をきちんと我慢をし、しかもその限定性を自覚してある意味ではあきらめる。その上でその時間的・時代的・環境的制約の中で新しいものを見つけていくことが必要であると私は思います。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索