学問体系と現場
 私は現場主義である。いつも問題は現場にあり、解決方法も現場にあると考えている。評論家的な態度が嫌いである。科学の知といわれる客観性・普遍性・論理性も大切だが、臨床の知といわれる主観性・個別性・宇宙性もそれ以上に大切だと考えている。
 しかしながら同時に放送大学などの体系的な学習をしていると、『なるほど。こういうことだったのか』と学ぶことも多い。体系的な科学の知も必要なこともある。

 現場と学習の体系化について考えてみたい。
 たとえ話で考えてみるのが良いと思う。現場はいつも主観的で目の前にある。ちょうど山登りをしていると、山の中にいるので山全体の姿が見えない。平地にいて山を眺めているときとは違うのである。全体が見えないから迷ってしまうこともあるであろう。山登りをしながらも、自分はいったいどこら辺にいるかをきちんと理解しておくことは必要である。しかしながら、実際に山登りをしていない人が、平地にいてあれやこれやと指示をしても上手くはいかないであろう。平地にいる人も山登りをしたことがあり、山中の様子がわかっていなければ、適切な指示が出来ないであろう。
 現場と学習体系のことを考えると山登りすることと平地から山をきちんと見ることとの関係にあるように思う。
 平島公園の緑化活動で考えてみよう。草や木は水分と栄養と光が必要であることは学問体系的に明らかである。また、植物によっていろいろな特性がある。どのような植物が平島公園のグランドカバーに必要であるかは、学問体系的に学ぶことはできる。しかし、現実には現場としての平島公園があり、昔、水田であったとか、ケヤキが40年の間にすっかり背が高くなっているとか、子どもがたくさん遊びに来るので、踏圧(とうあつ=人の足で踏まれることで木の周りが硬くなる)のために真ん中辺は草の丈が短くなるとかの特殊事情がある。この現場としてのことを考えないで学問体系だけでは上手くいかないであろう。
 私は現場と学問とがうまくかみ合うようにすることが大切であると思う。
 
  教育をめぐる学問体系と現場のくいちがい
 教育をめぐる学問体系と現場のくいちがいはどこから来ているのであろうか?私の仮説であるが、教育が欧米的な哲学にかなり支配されていることにあるのではないかと感じている。欧米は近代を発展させるために、物と心を分離した。物を理解するために客観性・普遍性・論理性といった科学の知を発展させた。心のためには宗教か絶対理性とか心は物から独立して存在する哲学が必要となった。戦前も戦後も教育のベースとしては欧米の教育方針がある。しかしながら、宗教も哲学も必要としない日本人には上手く適応できない。そこで戦前の修身や教育勅語が必要となった。戦後は道徳や郷土愛や愛国心が必要となる。日本人は物心一元論であるから、物と心が別の考える二元論をベースとした欧米の教育とは上手く組み合わさらないのではないかと私は仮説している。
 私はこのような仮説を立てて考えている。その考えから、全ての教科も欧米的な位置づけを変えてみたらどうかと提案したい。例えば算数科の目標は教育指導要領で 「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育る。」とあるが、これだけでは算数の論理や計算の手法が上手くなれば良いだけとも考えられる。この中に仲間を大切にする、自分たちの郷土を愛する、公正さを大事にするとのみんなと一緒に生きていくこと大切さを算数的活動の中に取り入れておくことが必要であると入れることが必要であろうと思う。つまり算数的活動も一つの活動であり、物心両面の育ちの必要性を組み入れるべきではないかと思うのです。
 また、活動は「働き」「学び」「遊び」が併合されていると考えることが必要です。授業の前にみんなで授業の準備をするのは働きです。そして働くとは人のために動くとの国字ですから、みんなのためにとの考えがそこにはあります。次に導入段階として、教師からの教えがあり、それを学ぶ段階があります。次に学びを活用して、発展させることが必要となります。35ヶのキャラメルを5人でわけたら、1人当たり何ヶに分けられるかなどの具体的な場面を想定して、公平さを取り入れながら分配する方法を考えます。まず1ヶずつ配って1周りしたら、次の1ヶを配る方法や、見込みを立てて、6ヶずつやってみるなどの方法もあるでしょう。遊びの要素を入れながら、上手くモチベーションを高めていくことが必要となります。授業が終わったら後片付けでまた働きの場面となります。物心一元論の日本人は算数的活動と道徳的活動は矛盾しないで行なうことが出来ると思います。
 学問体系があることはとても便利なことがあります。前記のように35ヶのキャラメルを5人で分ければ7ヶづつです。しかし現場では概ね2ヶづつ分けてやることも多いものです。子どもに『人数を数えなさい。35ヶのキャラメルを何人でわけるのですか?』などと問いかけると自分を数に入れないで『5人』として、7ヶづつ分けたら、本人の分がなくなったとのこともあります。6人で分けると5ヶづつとなり5ヶ余りになります。その余りを独占する子ども、ジャンケンで勝った人からもらおうという子ども、『先生の分だよ』といってくれる子どもなどいろいろなことがあります。算数科の活動においても学問体系と現実との中で学びはたくさんあり、道徳的なこともたくさんあるのです。
このように考えると学問的体系と現場は常に往復しあっていることが大切であると思います。
  学問体系と現場2
 2013年用の研修会キーワードを作成した。
 1枚目が理論的なことで、①「働き」「学び」「遊び」の包括的な活動②ソーシャルワーク③多重知能理論④ユニバーサルデザイン⑤仮説証明法⑥臨床の知⑦注意の瞬き⑧ADHD⑨ならぬものなどを書いた。
2枚目に手法として①ツーパワー②アンダースタンド③多重知能理論の活用④男女の違い⑤ケースワークから意図的なグループワークへの発展⑥日本人の特性⑦身近な自然⑧目そらし方略⑨不思議⑩遊びの発達段階⑪静かなる集中⑫コスト⑬働きと学び⑭枠にはめない⑮異年齢交流⑯大きく小さく⑰CD的暗記法⑱悪いことをするのは手足⑲なぜ叱るのか?⑳科学の知を妄信しないなどを記した。
 3枚目が具体的な活動の内容である。①カプラ・ワミー②オニム・どぶつしょうぎ・バックギャモン③足して10になるトランプ④折り紙⑤チラシでの活動⑥ドングリブローチ・椿の実のカブトムシ⑦野草てんぷら会。どんぐりご飯⑧クローバーで遊ぼう⑨人間ボーリング・歩き歩き手つなぎ鬼⑩乞食がたくさんの王様と乞食⑪椅子の減らない椅子取りゲーム⑫味噌ラーメンジャンケン・ジャンケン陣取り⑬スリーパワー陣取り⑭5人組み集団ジャンケン・参りましたジャンケン⑮王様ドッジ・ツーパワーサッカー⑯わらべ歌(ののはな・ふきのとう・あきかんうた)
理論的なこと手法のこと具体的な活動は上手く連携をとってやることが必要である。現場と学問的体系は常にフィードバックされて互いに発展しあう関係でなければならないのではないかと思う。
定年退職後の私は少しでも現場と理論との架け橋になるために手法を開発しつつ、活動がスムーズに多くの子どもたちが出来るようにと考えている。

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