民主党の代表選のるんさんのコメント
2010年9月23日 日常
民主党の代表選についてるんさんの話が載っていた。そこで私もコメントを書いてみたのでここにコピーを残しておきたいと思った。以下はコメントのコピー
私も小沢さんの落選が嬉しかった組ですね。私は見た目はあまり関係ないのですが、本人が嘘を言っているか、本当のことを話をしているかはわかるような気がしています。
子どもの現場であかちゃんや小学生や大人とたくさん話をしていると、言葉ではないコミュニケーションが大切なことがわかってきます、「紙飛行機作る?」「しない」との応答の中で「しない」との男の子の答えは「やりたいけど自分は上手く作れそうもないからしない」との意味と「私はそんなに安易にあなたのいうことをきかないよ。だから取り合えずしない」との場合があります。本当にする気が子どもにない場合は無視するか他のことに気をとられていて返事をしないかです。そこで飛行機を作ってやって「飛ばそう」「今度は作ろう」などともちかければすぐに仲間に入ってきます。
そこで小沢さんが本当に土地の売買に関与していないか、本当に知らなかったのなら「俺は知らなかった」を通せば良いのです。ところが「検察庁が調べてもクロと断定できなかったからクロではない」というようなことを言っているのはクロである証拠でもあると私はおもいます。そんな点から小沢さんの首相には反対ですね。
追加の話
子どもとふれあっていると子どもの話していることと思っていることが一致していないことが多いことに気づくことが多い。「00ちゃんなんて大嫌い」というのはほとんど「大好き」のことが多い。「一緒に遊ぼう」との提案に「絶対に遊ばない」というのは「ぜひ仲間に入れてくれ」とのことが多い。
私たちは言語に流されすぎているのではなかろうか。言語のことをバーバルという。バーバルによるコミュニケーションにこだわりすぎて非言語的コミュニケーションを軽視しすぎている。ノンバーバルコミュニケーションが人間の種としての基本ではなかろうか。このように考えてみると言葉に頼らないコミュニケーションを重視することが必要である。ところが矛盾するようであるが、ノンバーバルコミュニケーションを重視すると真の意味での言葉によるコミュニケーションの大切さも分かってくるのである。ノンバーバルコミュニケーションを行うことは言葉の持つ大切さをさらに感じさせ、言葉が言霊へと重要性をもつようになるのではなかろうか。しかし同時に言霊にも自分を支配されてはならない面もあり、永遠の問題となるようだ。考えてみれば生きるということはそんなものなのかもしれない。
もとに戻って、言葉に頼らない努力をすることもとても大切で、子どもたちとのふれあいの基本はノンバーバルコミュニケーションであり、その発展の中に意味深い言葉の世界が広がるのではないかと私は感じている。
私も小沢さんの落選が嬉しかった組ですね。私は見た目はあまり関係ないのですが、本人が嘘を言っているか、本当のことを話をしているかはわかるような気がしています。
子どもの現場であかちゃんや小学生や大人とたくさん話をしていると、言葉ではないコミュニケーションが大切なことがわかってきます、「紙飛行機作る?」「しない」との応答の中で「しない」との男の子の答えは「やりたいけど自分は上手く作れそうもないからしない」との意味と「私はそんなに安易にあなたのいうことをきかないよ。だから取り合えずしない」との場合があります。本当にする気が子どもにない場合は無視するか他のことに気をとられていて返事をしないかです。そこで飛行機を作ってやって「飛ばそう」「今度は作ろう」などともちかければすぐに仲間に入ってきます。
そこで小沢さんが本当に土地の売買に関与していないか、本当に知らなかったのなら「俺は知らなかった」を通せば良いのです。ところが「検察庁が調べてもクロと断定できなかったからクロではない」というようなことを言っているのはクロである証拠でもあると私はおもいます。そんな点から小沢さんの首相には反対ですね。
追加の話
子どもとふれあっていると子どもの話していることと思っていることが一致していないことが多いことに気づくことが多い。「00ちゃんなんて大嫌い」というのはほとんど「大好き」のことが多い。「一緒に遊ぼう」との提案に「絶対に遊ばない」というのは「ぜひ仲間に入れてくれ」とのことが多い。
私たちは言語に流されすぎているのではなかろうか。言語のことをバーバルという。バーバルによるコミュニケーションにこだわりすぎて非言語的コミュニケーションを軽視しすぎている。ノンバーバルコミュニケーションが人間の種としての基本ではなかろうか。このように考えてみると言葉に頼らないコミュニケーションを重視することが必要である。ところが矛盾するようであるが、ノンバーバルコミュニケーションを重視すると真の意味での言葉によるコミュニケーションの大切さも分かってくるのである。ノンバーバルコミュニケーションを行うことは言葉の持つ大切さをさらに感じさせ、言葉が言霊へと重要性をもつようになるのではなかろうか。しかし同時に言霊にも自分を支配されてはならない面もあり、永遠の問題となるようだ。考えてみれば生きるということはそんなものなのかもしれない。
もとに戻って、言葉に頼らない努力をすることもとても大切で、子どもたちとのふれあいの基本はノンバーバルコミュニケーションであり、その発展の中に意味深い言葉の世界が広がるのではないかと私は感じている。
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