犯罪率と日本の治安と健全育成
 すぐに他国のやっていることを真似をするのは良いことであるが、他国と比較して母国を批判するのがやめた方が良いと私は思う。

 「学者」達は昔はスウェーデンが福祉国家といい、それが廃ると教育はフィンランドが良いという。最近の本で見たら児童虐待の取り組みが一生懸命なのはニュージーランドだとニュージーランドの紹介がされていた。

 私流の考えではこうした他国の良い点をあげて日本の良さを見ないか否定するような「学者」は困りものであるということだ。

 日本とスウェーデンとフィンランドとニュージランドの1年あたりの10万人の殺人事件件数を見ると以下のようになる。
日本1・10 スウェーデン1・87 フィンランド9・66 ニュージランド3.99である。(ICPO調査犯罪率統計よりhttp://ms-t.jp/Statistics/Data/Crimerate.html
 新潟市は80万都市であるが、これで換算すれば新潟市で8件の殺人事件があればニュージランドの同程度の都市では30人の殺人事件があるということになる。30人とは1ケ月に3回程度の殺人事件が起きていることになる。こうした風土ののおいては当然のことながら暴力的風土があるということになり、児童虐待のケースも多くなるであろう。だから児童虐待防止のための親教育も必要となるであろう。

 日本の場合で考えてみよう。日本は基本的に子ども中心の社会である。この子ども中心の社会こそが犯罪を少なくしている。そして暴力が支配する風土の抑止力となっていると考える。暴力が支配する風土においては子どもは尊重されることはない。暴力が支配する風土にしないことは個人の権利を声高に主張しないことではないかと考える。「権利」は互いの衝突を呼ぶ。そして「権利」の主張合いが暴力的な解決へとむかう。と仮定して私は行動している。そこで「権利」の主張よりも互いの上手い解決の手法を探ることが必要である。

 「権利」の主張から上手い解決の手法を探ることは私流の考えでは「ダメなことはダメ」を通すことであると考える。子どもがオモチャの奪い合いから殴り合おうとしたら「殴るのはダメ」としっかり伝えることは必要である。そしてそれでもやるならばにこやかに近づいて殴った手を捕まえて「この手はダメ。」と手を叩いて痛みを感じさせ「でもあなたは良い子」と教えることが必要である。

 叩いてはいけない。ダメと言ってはダメなどの考えは現場では通用しない。ダメをしっかりいえないようなことでは世の中は成り立たない。日本社会はダメなことはダメ。危険なことにはバシッと叱ることで成り立ってきていたと私は思う。
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