ラーメンとポリバレントと子ども
 新潟はラーメン王国であると私は感じている。みそラーメン・塩ラーメン・醤油ラーメンがあり、野菜ラーメン・海鮮ラーメン・チャーシュー麺・ネギラーメン・五目ラーメンなどがある。麺も細いものから太いものまでいろいろだ。お店も札幌ラーメン系から三条の背油系・豚骨系・煮干系などいろいろなものがある。新潟こそラーメンの天国だと私は思っている。

 ポリバレントとはポリという多数のとの意味とバレントという化学系の価を意味していて多価とのことである。これをサッカーのオシム監督が使っていろいろなポジションをこなせる選手をポリバレントな選手が良いと主張したことからいろいろなことをこなせるとの意味になってきた。

 小学生期前後の子どもはいろいろな可能性を秘めていてポリバレントな存在であることから私は子育てはポリバレントであることが必要と最近主張している。
 教育や子育ての現場がどんどん専門家化していって、それぞれが分離を始めている。それを協働(=コラボレーション)して頑張るとか言っているが主体的な取り組みでないがゆえにうまくいっていないと私は考えている。
 ポリバレント的に子育てにおいてはある時は親であり、ある時は仲間であり、ある時は先輩であるような関係性も必要と思う。また児童館等における指導員は学校の先生みたいであり、掃除のおじさんであり、草取り名人であり、花育て名人であり、簡単な修繕や木工ができる人であり、しっかり叱ることができる人であり、怪我をしたらきちんと手当てができて、工作もいろいろ知っていて、サッカーやローラースケートも少しはできてといったポリバレントな存在である必要性があると考えている。

 ラーメンとの関係は。
 新潟のラーメンが美味しいのはいろいろなラーメンがあるけれど、だしをとるためにそれぞれがいろいろな工夫をしているところに私はその基本があると思う。豚骨・鶏がら・鰹節・煮干・飛び魚・昆布・干し椎茸・酒・味醂・塩・ニンジン・タマネギ・ニンニク・貝柱・豚肉などなど様々なものがそれぞれに工夫されて美味しいだしがとられているのであろう。 これらがいろいろミックスして長い時間、煮込まれることによって、素晴らしい味になっていく。
 子どもを育てるということはラーメンを作るようにいろいろな物を複合して時間をかけてしかも思いもしなかったものが微妙な味を生んだりするものでないかと私は感じている。そのように考えると子育ては短絡的な効果を期待するのではなくて「思わぬことが起きる」連続ではないかと思うのである。

 私達が何かをしようと考える時に単純に一つのことを目的としないでいろいろなことを複合的にポリバレント的にやることが必要なのではないかと思う。
 暮れの20日に餅つき会を実施した。餅つき会は一般的に季節の行事に親しむなどの目的で行われますが、地域とのふれいあい・親子の交流・子どもの表現遊びの場・機械器具の点検・美味しい餅を食べる・子どもにお手伝いの機会を与える・取材に応じる・後片付けをする・親子のふれあい・おやつを提供するなど様々な目的を付加することができる。またいつも同じパターンにしないで新たな発見をする場所にしていく必要もある。(今回はカレーポップコーンのカレーの素をつきたての餅にまぶしてカレー餅を開発したが美味しかった。これはちょうど新しいラーメンの開発と一緒である)
 この暮れの餅つき会が320人と人数が多すぎたために新潟日報の紙面を飾る写真が上手く撮れなかった。もし写真を撮るためだけの餅つき会ならこの餅つき会は失敗となる。でも他の目的が成功したので全体としては成功でした。

 ここからが発想の転換です。失敗した写真撮影をどうするかです。暮れの餅つきは地域とのふれあいや世代交流が主な目的です。それ以外にも餅つきには様々な目的があります。(撮影が失敗したからといってそれで諦めるなら背油ラーメンが自分に合わないからといって新潟のラーメンは全部ダメと否定するようなものです。)
 そこで12月21日(日)に出勤をしてもち米を5キロといで浸しておきました。そして22日(月)に再度餅つき会をすることにしました。グラフェックデザイン会社に電話をして太鼓の仲間に電話をして準備をしました。おやつ・餅つき・撮影・太鼓と目的はまだたくさんあるからです。お陰で撮影会は大成功でした。クラブの子ども達100人くらいでやりました。太鼓のグループも喜んで参加してくれました。
 私も本格的な写真の撮影の仕方を学ぶことができました。またグラフェックデザインの会社の人が喜んでくれて美味しい大阪屋のシュークリームの差し入れまでしてくれました。ボランティアさんが喜んで食べました。

いろいろなところに手を出したり、目的がいろいろあると散漫になって器用貧乏のようになるとの考えもあるであろう。でも器用貧乏というのはラーメンをチョとやってみて、次にうどんをやり、ソバもやり和食も洋食もイタリアンにも中華にも手を出すけれどどれも上手くいかないといったようなものではないかと私は思う。やるならばラーメンを徹底的にきわめていく。その上でソバやうどんや和食や中華の技術もラーメンに取り入れていくことではないだろうか。
 同じように私は失敗を恐れないでどんどんいろいろなチャレンジをすることが必要と思っている。そこで一戦一勝は一回の成功にしかならない。10戦して2勝8敗でも良いのではないか。2勝のほうが2倍の価値を産むとの考えを持っていた。これに対して∑の中で平井さんがユニクロの社長さんの言葉で1勝9敗主義との考えを提示していた。この場合の1勝9敗とは10戦を意味するのではなくて1戦の中でいろいろなチャレンジをして一勝を獲得するとの意味であるという。人生は限りがある。全てのことにチャレンジできるわけではない。そのように考えると一つの場所でチャレンジの方法を変えて何度もチャレンジしていくことが必要となるであろう。ラーメンという場所で頑張りながらいろいろなラーメンにチャレンジして新しいラーメンを作っていくようなものだ。それに世の中はどんどん変わっていく。野菜が高くなったり、麺が高くなったり、消費者の嗜好もどんどん変わっていく。カロリーの高いラーメンを求められる時代もあったし、よりカロリーの低いラーメンも求められることもあるであろう。塩加減もしょっぱいのから薄味に変わってきたしね。新型インフルエンザに効能のある鳥スープラーメンなどというのが出てくるかもしれない。常にチャレンジが必要であろう。失敗を恐れていては何もできない。

 ポリバレントと言うことをもう少し考えてみると多様で多義的な戦略を持つことが必要であろう。トヨタが昨年2兆円もの黒字を出しながら、今年は赤字に転落する。好調な事業の戦略とは別にまったく違ったものを戦略の中に組み入れておくことが必要であろう。
 平島公園や有明児童センターの草刈りなどにおいて私はいろいろな道具を購入している。大きいものは乗用芝刈り機・自走芝刈り機・草払い機・大鎌・鎌・草抜き器・ほうき・箕・塵取り・ブロー&バキューム機・高圧洗浄機・・鋸・チェーンソー・剪定鋏・大型剪定用鋏・高枝鋏・脚立・剪定用バリカン・ビンビラ・竹ビンビラ・ミニビンビラなどなどいろいろである。多種多様な用具を用意しておくことは情況の変容に対応ができるのが良い。世の中は常に変容しているのだから、一見無駄で役に立ちそうもないものでも用意をしておくことが必要であると私は思うのである。ポリバレントな対応とは用のあることのみの主眼をおくのではなくて一見無用なものも用意をしておいてうまく役立てることではないかと思う。
 草取りにおいては乳幼児や保育園児や子育て中のお母さん・お年よりも仲間になってもらう。草をとったり気の選定をするという意味では無用な存在である。ところが乳幼児や若いお母さんが見ていてくれると草をとる人たちは元気が出て来て、丁寧できれいで速い仕事をしようとする。このことの価値はとてもすごいものである。つまり無用なものなど本当は世の中にはないのかもしれないのだ。無用と思えるものを有用なものに変えていくことがポリバレント的な考えなのかもしれない。 ラーメンを作る場合に厨房で作って食べる場所に出すのではなくて、ほとんどのラーメン店がお客の前でラーメンを作って見せるようにしているのにも同じような訳があるのかもしれない。「私はこのようにしてラーメンを作っていますよ」「そうかそれで上手いのか。」といった関係性がラーメンの中にはある。子どもを育てることも一緒で子どもとの関係性とはいつも目の前で主体的な取り組みによってこそ子どもは成長するであろう。同時に子どもとの主体的な関係性を上手く行うにはラーメン作りのようにお客の見ていない場所でも時間をかけた地道な準備が必要である。ラーメン作りと子育てはますます一緒だなあと思う。つまりフェイスツーフェイス(対面的)な関係でありながら、その関係性を築くためにはその準備がたくさん必要であるとの点で。

 ラーメンとポリバレントと子どもの関係はいろいろな面で使っていけるように思いました。

 写真は12月30日に新潟日報に大きく掲載されたものです。これでまたいろいろな仲間が増えてきました。失敗こそ躍動の鍵かもしれません。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索