星の時間 ありふれた魔法
 みぃさんちに遊びに行って、「ありふれて魔法」という本の紹介を受けた。一昨日に紀伊国屋で買って読んでみた。男の作家なのに中学生の女の子どもの心理をうまく描写していた。盛田隆二さんは誰から女の子どもの心理を聞いたのだろうかと思った。私にはそちらのほうに興味が沸いた。

 ありふれた魔法はある意味では星の時間と似ていると思った。下記に8月に書いた星の時間についての引用をコピーしてみた。

2006/08/05(土) 20:33 No.691
 第一期の実習生の実習後のレポートが今日提出された。その中で微妙なタイミングが大切なことがわかったとの趣旨のことが書かれていた。友近さんが「恋はフェーリング・タイミング・ハプニング」と言っていられるが、まさにそのとおりだと思う。同様なことが一緒にしてはまずいのかもしれないが、臨床心理学面接特論の中で大場登先生がセラピストの問いかけとコメントの中で以下のように述べられていたので紹介したいと思った。
 セラピストがずっと「この可能性・仮説にいつか触れる時がくるかもしれない」と待っていた、まさに「その機会」「その時」と感じられることがある。セラピストが抱いていた仮説にぴったりの「事件・エピソード」が生じたりする。その「時」を逃がしたら、もはや永遠にその「時」は戻ってこないような「時」は、人生の中にも、心理療法の中にもある。ドイツ語に”sternstunde”という言葉がある。文字通り「星の時間」という意味だが、いわば「運命の一瞬」とも言うべき「時」のことである。”sternstunde”はもちろん「問いかけ」「コメント」の最高のタイミングである。同じ内容の「コメント」もその「時」を逃がせば「ただの意見」になるさがる。セラピストには、絶えざる「仮説構築」の努力と、セラピー内外に生じる「時」への「自由で漂える関心・注意」そして「時」を感じとった場合の「絶対的能動性」が要請されている。
 というものである。
 児童館や児童クラブで子どもたちと過ごしていると、子どもたちが大きく成長する瞬間というものに出会うことがある。この瞬間を伸ばすために子どもや親との信頼関係や相互関係を築くために日頃の仕事があるのかとも感じられることがある。こうした成長・飛躍への一言というのは必ずしも褒めるとか叱ると言う意味だけではなく、緊張関係をもちながら真剣勝負が必要な「時」「言葉」「行動」といった感じである。
 星の時間”sternstunde”はタイミングでもあるだろう。日頃の生活の中でうまくタイミングをつかむことも大切なことだし、そのタイミングをつかむために多くの活動や努力やコミュニケーションをしていくことが大切なのではないかと思った。

 友近さんの「恋はフェーリング・タイミング・ハプニング」「ありふれた魔法」「星の時間」には人知だけでは世の中はわからないものであることを教えてくれるように思った。みぃさんありがとう。

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