竹馬・馬飛びなどなど
2006年10月6日
子どもたちの変容が激しい。自己中心で周りの他人のことを考えることができる人が少なくなっている。少子時代となり、子どもの周りが子どもではなくて大人の方が多くなり、切磋琢磨の機会が少なくなったことが基本的な問題であると私は思う。
10年前までは300?の体育遊戯室で50人くらいの子どもたちと竹馬(鉄馬)をやっていた。ところが最近では1,8メートルくらいの鉄馬を鉄棒部分を手から離してしまう子どもが多くなった。バランスがとれなくなったら、足を離して手を離さないで鉄棒を倒してはいけないのだが、それができなくなった。自分の小さな身の危険を防ぐためには他人が重篤な危険に陥ってもかまわないと考えている子どもが増えてきたのである。だから集団での鉄馬指導ができなくなった。同様に馬とびなども一緒である。馬になっている子どもの背中にドンと体重を預けても「だって転びそうになったんだもん」と悪びれない。また馬とびをしている子どもの横を走り回って接触しそうになる。ADHD傾向の子どもの増加も一因であるけれど、自己中心的な子どもが増加していることが一番も問題であると思う。
異年齢・異世代が一緒に楽しく再び遊べるようになるには基本的な躾をきちんとする必要がある。児童福祉のふくしをふだんのくらしをしあわせにと提案したいた頃があった。わたしは最近ふくしを
ふつうの
くらしを
しっかりと
と提案している。普通のこと(他人に危害を加えない・自己中心ではなくて仲間のことを考える・おもいやり)をしっかりできなければよりよく生きることはできない。福祉はWelfareである。Welfareには安い料金で助けてあげるとの意味とよりよく生きるとの意味もある。豊かな時代における福祉はやはりよりよく生きることであろう。よりよく生きる中身は人によってさまざまである。しかしよりよく生きるためには基本的な仲間作りが必要である。そのために「ふつうのくらしがしっかりできる」躾が大切にすることが必要な時代となってきていると私は思う。
10年前までは300?の体育遊戯室で50人くらいの子どもたちと竹馬(鉄馬)をやっていた。ところが最近では1,8メートルくらいの鉄馬を鉄棒部分を手から離してしまう子どもが多くなった。バランスがとれなくなったら、足を離して手を離さないで鉄棒を倒してはいけないのだが、それができなくなった。自分の小さな身の危険を防ぐためには他人が重篤な危険に陥ってもかまわないと考えている子どもが増えてきたのである。だから集団での鉄馬指導ができなくなった。同様に馬とびなども一緒である。馬になっている子どもの背中にドンと体重を預けても「だって転びそうになったんだもん」と悪びれない。また馬とびをしている子どもの横を走り回って接触しそうになる。ADHD傾向の子どもの増加も一因であるけれど、自己中心的な子どもが増加していることが一番も問題であると思う。
異年齢・異世代が一緒に楽しく再び遊べるようになるには基本的な躾をきちんとする必要がある。児童福祉のふくしをふだんのくらしをしあわせにと提案したいた頃があった。わたしは最近ふくしを
ふつうの
くらしを
しっかりと
と提案している。普通のこと(他人に危害を加えない・自己中心ではなくて仲間のことを考える・おもいやり)をしっかりできなければよりよく生きることはできない。福祉はWelfareである。Welfareには安い料金で助けてあげるとの意味とよりよく生きるとの意味もある。豊かな時代における福祉はやはりよりよく生きることであろう。よりよく生きる中身は人によってさまざまである。しかしよりよく生きるためには基本的な仲間作りが必要である。そのために「ふつうのくらしがしっかりできる」躾が大切にすることが必要な時代となってきていると私は思う。
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