川崎のさいとうさんとはメルトモから仲間になりました。下記はさいとうさんちのコッコロな日々からの引用です。

 日本人の宗教は、「神業」という意味は特別ウルトラ難度のものではなくて、ただ働くことこそが神業だと教えている。神話の中で、天照大神が機を織り、稲作をし、神聖な御殿でお祭りをなさる。これで、「衣・食・住」神様自らが衣食住にかかわる祭りをしていた。これが神業である。そしてこれらが地上に降ろされて日本人は神様がなさっていた神業を繰り返してきた。西洋の神話、例えば「旧約聖書」では、アダムとイブが禁断の木の実を口にすると、神は男に働く「苦しみ」を与え、女性には産みの苦しみを与えた。考え方の違い、風俗の違いなのでしょうが、これほどの違いがあることは知りませんでした。

 というものである。私は日本人の良さは偉い人もちゃんとお茶だし、清掃、ゴミ捨てができることであると考えていた。そして児童館・児童クラブの職員はゴミ捨て・清掃・木の剪定・草取りなどの子どもの遊び場環境作りなどをすることが一番大切と思っていた。なあんだ日本人は神様までが庶民のやることを神業としてやっているとのさいとうさんの話はとてもためになった。
 みんなの住む環境をきれいにする活動を大切にするために汚い仕事をすることが尊いのだという考えを普及することが日本人の使命ではなかろうか。

 武士の起源はマタギではないかとの文化論的な視点から分析していた本を読んだことがある。徳川家康が鷹狩りを好んで行ったところにマタギと同じ文化を見つけて分析したものである。マタギは男だけで山の中で狩りをしたいたから、全ての活動を(衣・食・住)自分達で行っていただろう。だから全てのことを自らやることはとても大切で尊いとの文化もできたのではなかろうか。織田信長が主人自らがお茶を出して接待するという茶の湯の文化を作ったのもマタギの文化に関係しているのかもしれないと私は思う。
 とまあそんなところで児童館や児童クラブはトイレ清掃を含めて職員自らがやるしかない職場である。それをマイナスと考えないでプラスと考えることが必要ではないかと思う。
 案外、トイレ清掃を職員がやる児童館と業者委託もしくは用務員がやる児童館の比較をしたら面白い結果になるのではと思ったりもしている。

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