人に伝えること
2006年4月27日
人に何かを伝えるということはなかなか難しいものがありますね。昨日は非常勤講師をしている専門学校の授業でした。ノンバーバルコミュニケーションといって、言語の頼らないコミュニケーションが子どもたちに伝える時に大切との話を折紙を折りながら、学生達に実践してみた。
その人の能力にもよるのだが、思ったよりも乗ってこない。児童館職員や保育士・教員の研修会などでもそうなのだが、簡単な折紙などを軽視する傾向がある。「このくらいならできる」という思い上がりが大人にはある。その点子どものほうがそうしたものがないから真剣に取り組み、中身の濃いものになる。
児童厚生員や保育士・幼稚園教諭・先生・学生のほうが本当は子どもの扱いかたや折紙の折り方やその手法は学ぶものが多いのであるが、そこらへんのところを分からないことが多い。具体的なことでいえば、風船の基本折りをするのに、裏が出るように半分に折り、開いてまた半分に折って十字の谷折りを作る。次に表が出るように三角に折り、開いてまた三角に折る。すると十字は谷折り・×は山折りになる。これをうまく畳み込めば風船の基本折りになる。山折り・谷折りを反対にして折れば、鶴の基本折りとなる。この折り方をすれば、子どもは簡単に折紙を覚えることができる。しかしながらこの手法をunderstandできていない指導者が多い。
この手法を教えようと一生懸命伝えるのだが、この程度の折紙の折り方は知っていると考えている指導者ほど真剣に取り組もうとしない。そして子どもに折紙を教えることも少ない。
人に何かを伝えることは難しい。こちらの能力の問題もあるが、相手の意識や能力の問題もある。
学ぶ姿勢をどのように作るかが大切だ。そして学ぶ姿勢とはある意味では有料化とのことでないかとも感じている。自腹で学習しようと思う人は真剣である。視察なども一緒で公務で出張に来た人は5時前に帰る。私費出張の人は午後7時にを過ぎても帰らないで学習しようとする。
子どもの方が何事にも真剣なことが多いのはもしかしたら金銭換算しないからかもしれない。逆に真の意味での金銭換算ができるからかもしれない。子どもは能力のない指導者をすぐに見極める。大人にはそれができない。
その人の能力にもよるのだが、思ったよりも乗ってこない。児童館職員や保育士・教員の研修会などでもそうなのだが、簡単な折紙などを軽視する傾向がある。「このくらいならできる」という思い上がりが大人にはある。その点子どものほうがそうしたものがないから真剣に取り組み、中身の濃いものになる。
児童厚生員や保育士・幼稚園教諭・先生・学生のほうが本当は子どもの扱いかたや折紙の折り方やその手法は学ぶものが多いのであるが、そこらへんのところを分からないことが多い。具体的なことでいえば、風船の基本折りをするのに、裏が出るように半分に折り、開いてまた半分に折って十字の谷折りを作る。次に表が出るように三角に折り、開いてまた三角に折る。すると十字は谷折り・×は山折りになる。これをうまく畳み込めば風船の基本折りになる。山折り・谷折りを反対にして折れば、鶴の基本折りとなる。この折り方をすれば、子どもは簡単に折紙を覚えることができる。しかしながらこの手法をunderstandできていない指導者が多い。
この手法を教えようと一生懸命伝えるのだが、この程度の折紙の折り方は知っていると考えている指導者ほど真剣に取り組もうとしない。そして子どもに折紙を教えることも少ない。
人に何かを伝えることは難しい。こちらの能力の問題もあるが、相手の意識や能力の問題もある。
学ぶ姿勢をどのように作るかが大切だ。そして学ぶ姿勢とはある意味では有料化とのことでないかとも感じている。自腹で学習しようと思う人は真剣である。視察なども一緒で公務で出張に来た人は5時前に帰る。私費出張の人は午後7時にを過ぎても帰らないで学習しようとする。
子どもの方が何事にも真剣なことが多いのはもしかしたら金銭換算しないからかもしれない。逆に真の意味での金銭換算ができるからかもしれない。子どもは能力のない指導者をすぐに見極める。大人にはそれができない。
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