常識の怖さ

2006年4月21日
 人間が生きていく上で基本的な常識は大切であろう。おばあちゃんの智恵などにもそうした基本的な常識がたくさんあり、学ぶべきものが多いと私は感じている。最近の傾向で感じていることはおばあちゃんやおじいちゃんに育てられている子どもは概ね健やかに育っているように思う。もちろん概ねと私が感じているだけのことである。

 常識はそういう意味で大切なのであろうが、通常とは違った危機管理の時には常識が通用しないことがある。例えば「人間の生命は地球より重たい」などというのは多くの人が認めなければならないような感じがする。しかしながらテロの問題や戦争の時または異常な殺人犯などに対処する時には多数の市民を守るためには様々な対処が必要とされる。

 地震などの災害時でもトリアージの考えが取り入れられる。
トリアージ(仏 triage)〔外来語年鑑2005年〕
治療の優先順位による患者の選別。「治療の必要があり、かつ治療による回復が見込まれる人」が最優先。「選別」の意のフランス語から。
[株式会社自由国民社 現代用語の基礎知識2005年版]
 つまり助かる見込みのない人はある意味では見捨てることも必要になるとの考えである。
 人間は文明を築いて繁栄をしている。このことは同時に生命の本質としては反することでも受けれいなくてはいけないこともあることもあると考えなくてはならないのではと私は思う。そう意味で常識は必要であるが、常識だけにとらわれるわけにもいかないと私は思う。

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