人間いうもの3

2006年1月4日
年末に司馬遼太郎さんの「人間というもの」との本を買った。PHP文庫である。播磨灘物語で黒田官兵衛の言葉が出ていた。

 人間が無言でいることがいかにつらいか、この牢に棲んでみてわかった。人間というのはつねに相手を求めているらしく、独りで暮らせるようには作られていないことを知らされた。

 このことは実感としてわかる。学生時代に検挙されると必ず「完全黙秘で通せ」と統一救対からの指示が出た。人はしゃべり始めると我慢ができなくなるからである。完黙に対して接見禁止処分が出る。接見禁止処分とは弁護士以外に会わせない・本をよませない・文書を読ませないというものだ。自分が世間から隔離されてとても寂しく辛いものである。
 人間は無言でいたり、相手がいないことはとてもとても辛いことなのです。ですから人間関係における自由とは実は人間関係を構築する自由であるともいえるでしょう。そうすると相手がいるわけですから当然、自由とは人間関係のルールということにもなります。その意味でも自由とは統御・制限ということになります。

 まわりくどい言い方をしていますが、人間にとって自由とはいったい何かということを再考する必要があると思うのです。それが孤独化・孤立化した現在の状況下で問題行動が多発している原因を探り、解決の手法を見つけることになるのではと思うのです。

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