年末に司馬遼太郎さんの「人間というもの」というPHPから出版されている文庫本を買った。河合継之助の言葉が載っていた。
(たとえば、こういうことだ。藩のためにもなり、天下のためにもよく、天朝もよろこび、幕府も笑い、領民も泣かさず、親にも孝に、女にももてる、というようなばかなゆきかたがあるはずもない)
ということであった。そういうことを思いつく人間というのは空想家であり、ほらふきであり、結局はなにもしない。
(なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるということだ)
と、継之助は考えている。何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない、と継之助は考えている。
以上が引用である。河合継之助は長岡藩の執政で中越戦争を指導した。長岡城の落城後会津藩へ行く途中八十里越をとおり、途中でなくなっている。(この八十里越のところで私はいつもコゴミを採っている。)継之助は幕府の崩壊を予測しながら薩長と戦った人である。
誰にでも良い顔をして生きれるわけではない。ダメなことはダメというのはエネルギーのいることだ。しかしそのエネルギーを出し惜しみしていてはなにも生まないのではなかろうか。
写真は河合継之助も越えた八十里越の道です。
(たとえば、こういうことだ。藩のためにもなり、天下のためにもよく、天朝もよろこび、幕府も笑い、領民も泣かさず、親にも孝に、女にももてる、というようなばかなゆきかたがあるはずもない)
ということであった。そういうことを思いつく人間というのは空想家であり、ほらふきであり、結局はなにもしない。
(なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるということだ)
と、継之助は考えている。何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない、と継之助は考えている。
以上が引用である。河合継之助は長岡藩の執政で中越戦争を指導した。長岡城の落城後会津藩へ行く途中八十里越をとおり、途中でなくなっている。(この八十里越のところで私はいつもコゴミを採っている。)継之助は幕府の崩壊を予測しながら薩長と戦った人である。
誰にでも良い顔をして生きれるわけではない。ダメなことはダメというのはエネルギーのいることだ。しかしそのエネルギーを出し惜しみしていてはなにも生まないのではなかろうか。
写真は河合継之助も越えた八十里越の道です。
コメント
新年おめでとうございます。
言霊のお話とてもよかったです〜。
コメントありがとうございました。
また色々と教えてくださいね。
今年もよろしくお願いします。
言霊のことは前から気にしていた言葉でした。彩さんのを見て思わず書いてしまいました。
過去は変えられるというのもいいですね。認知療法の考え方の中で、認知の仕方を変えるとまったく違ったものになるとの考えがあります。つまり過去を困ったものとして受け止めるのではなくて未来へのステップとしてポジテブに考えるというものです。催眠療法での過去を変えるというのは過去そのものを変えるというよりは過去のトラウマをポジテブにとらえなおすと考えてみるのも良いのではないかと私は思います。
私自身の経験からいいますと、有頂天になっていい気になって活動していると必ず母の具合が悪くなります。私はそれで活動に大きな支障をきたすことになり、ストレスがたまります。でもポジテブに考えるとそう有頂天になるなということのメッセージととることもできます。出来事はそんなものかもしれませんね。