会議と無駄no2

2005年10月29日
 会議を無駄と感じるのはけっこう多数の人の時間を拘束するからである。多数の人が拘束されて内容の無い会議は拷問に等しいと思うことすらある。内容のある会議なら自分も向上するし、とても楽しい。

 会議が無駄にならないためにはそこで常に内容のある会議をすることを意識的に心がける必要性があると思う。よく毎回・毎回同じこと・わかっていることを繰り返し話す人がいる。児童健全育成の会議の時に出生率の低下と少子化現象などということは何度聞かされたであろうか。この種のことはすっ飛ばすかそれとも違った観点で再認識してみるかが良いと思う。でもそれをなされないままに繰り返されることが多い。それはたぶん話している人にも消化されていないままの受け売りであるからだと思う。

 思い出してみると観念論の人たちは現実に依拠していない人が多い。だからその観念の多くは誰かの受け売りでしかも消化されていない。自分のものになっていないから内容がないということでもなかろうか。

 会議を無駄にしないためには発言が本当に自分のものになっているものかを考えて離すことを原則とするのが良いと私は思う。自分のことを抜きにした観念論が会議を無駄にするのではなかろうか。

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