子どもは無邪気か?
2005年10月16日
けっこう人間と言うのは観念の中で生きているものです。でもそれが違うことはよくあります。例えばハイエナと言えばライオンが狩りをした残り物を漁る意地汚い動物と思われています。ハイエナのような奴と言われて良い気持ちがする人はいないでしょう。でもライオンのような人と言われると喜びそうです。
現実の動物の世界ではハイエナはとても狩りがうまいのだそうです。グループで協働して狩りをするのだそうです。それに比べライオンは狩りが下手なのでハイエナの獲物を実力で奪い取ることが多いとのことです。ハイエナが横取りされて悔しい思いをしているのを見て、人間が勝手にハイエナはライオンの残りを漁る意地汚い動物と思ってしまったのです。その結果、ハイエナの言葉の中には意地汚さが残ってしまっています。
子どもの世界も一緒のように私は感じています。観念の世界の子どもと現実の子どもに違いがあります。
子どもは無邪気であるとの考えも観念の世界で一人歩きをしています。邪気がない人間など本来的に無いものです。子どもは大人に比べ邪気が少ない。これは事実です。しかし無邪気ということはないのです。無邪気であってほしいという願望が無邪気であるに変容してしまっています。保育士や教員・児童厚生員を職種として選ぼうと思っている人のの多くは「無邪気な子どもと楽しく過ごしたい」などと考えていることが多いものです。ところが現場に出てみると予想外の子どもの意地悪・いじめ・嫌がらせ・陰湿さに出会います。そもそも無邪気などありえないと思って対応していればよいのに、子どもは無邪気などという観念に縛られているとうまく対応できなくなってしまうのです。
現実の動物の世界ではハイエナはとても狩りがうまいのだそうです。グループで協働して狩りをするのだそうです。それに比べライオンは狩りが下手なのでハイエナの獲物を実力で奪い取ることが多いとのことです。ハイエナが横取りされて悔しい思いをしているのを見て、人間が勝手にハイエナはライオンの残りを漁る意地汚い動物と思ってしまったのです。その結果、ハイエナの言葉の中には意地汚さが残ってしまっています。
子どもの世界も一緒のように私は感じています。観念の世界の子どもと現実の子どもに違いがあります。
子どもは無邪気であるとの考えも観念の世界で一人歩きをしています。邪気がない人間など本来的に無いものです。子どもは大人に比べ邪気が少ない。これは事実です。しかし無邪気ということはないのです。無邪気であってほしいという願望が無邪気であるに変容してしまっています。保育士や教員・児童厚生員を職種として選ぼうと思っている人のの多くは「無邪気な子どもと楽しく過ごしたい」などと考えていることが多いものです。ところが現場に出てみると予想外の子どもの意地悪・いじめ・嫌がらせ・陰湿さに出会います。そもそも無邪気などありえないと思って対応していればよいのに、子どもは無邪気などという観念に縛られているとうまく対応できなくなってしまうのです。
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