サルを教えていてサルになる
2005年10月10日
人間の子どもの発達段階はいろいろな生命の歴史を歩むらしいとのことはNHKの地球46億年の歴史人類への旅や柳澤桂子さんの著書などでも書かれている。私は小学生低学年の男の子はサルの段階との仮説を立てている。広いところは走り回り、穴があったら掘り、高いところはよじ登り、棒を振り回し、カーテンにすがる・石を投げるなどの行為は考えての行動ではなくて本能的な行動であるとの仮説である。本能的な行動ならば「石など投げて何を考えているの?」などと叱るのは間違いである。考えて行動しているわけではないからである。「石を投げないで」だけでよい。
小学校低学年の男子はサルの段階であると思い、サルの喜びそうな遊びや自然遊びなどをやっているとだんだん私自身が本能を呼びおこされてサルになってきた。山に行ってアケビを見つけては木によじ登り、野生のミョウガを見つけて大喜びをする。ドングリとツバキの実を探して野山をかけめぐる。男の子を三人育てているお母さんは男になるが、サルを相手にしているとこちらもサルとなる。
サルサルというと人間の子どもをサル扱いするのはよくないとの主張も出てくる。でもそれは欧米流の人間が一番偉いとの考えと私は思う。日本人はサルも神様・ヘビも神様・無生物の山も神様・みんな神様である。サルと人間がどちらが偉いと比較をするほど野暮な人種ではないと私は思う。
小学校低学年の男子はサルの段階であると思い、サルの喜びそうな遊びや自然遊びなどをやっているとだんだん私自身が本能を呼びおこされてサルになってきた。山に行ってアケビを見つけては木によじ登り、野生のミョウガを見つけて大喜びをする。ドングリとツバキの実を探して野山をかけめぐる。男の子を三人育てているお母さんは男になるが、サルを相手にしているとこちらもサルとなる。
サルサルというと人間の子どもをサル扱いするのはよくないとの主張も出てくる。でもそれは欧米流の人間が一番偉いとの考えと私は思う。日本人はサルも神様・ヘビも神様・無生物の山も神様・みんな神様である。サルと人間がどちらが偉いと比較をするほど野暮な人種ではないと私は思う。
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